2019.11.29校長ブログ1「学校の始まりとベトナム」

欧米アジア語学センターは、「ベトナム難民支援運動」の中から生まれました。
私(校長)が若い頃政治活動をしていた時、1975年ベトナム戦争(アメリカとベトナム)が終結、多くの難民が「ボートピープル」で日本へ避難してきました。
その難民の方々を当時日本にいたベトナム人留学生とともに救援活動を行いました。
そしてその時の留学生とともに20年前立ち上げた会社が「欧米アジア語学センター」なのです。

ベトナム人留学生と共に。
右がわたくし

だから弊社は今、テキスト・語学本を13冊(4冊準備中)出版していますが、第1号は

「はじめてのベトナム語」(明日香出版社)でした。設立当初の教室は、JR新宿駅から南口から歩いて18分、文化学園の近く、東京ガスの隣のビルでした。ハーブの会社の一角をお借りして教室としたのです。部屋中ハーブだらけで、とても良い匂いがし、レッスン用テーブルも自然な木目が入った長形の物でそれなりの風情がありました。

当時は喫茶店レッスンが主流で関東全域を対象にして、生徒数も500名を軽く超え、ナント本校にも新宿駅から20分近くもかかるのに多くの人が通ってくれました。先生の登録数も中国語、韓国語を中心に40か国語1000名を超える大陣容となってきました。

欧米アジア語学センターの法人名は「株式会社エフアイジャパン」で「Future International

Japan(日本から世界の未来へ)」の略称です。

語学事業だけでなく、旅行事業もやっていました。南太平洋に「ミクロネシア連邦」(その中の一つ、トラック島は旧海軍連合艦隊の一大軍港だったところです)という国があり、その人たちを援助しようと「NPOミクロネシア振興協会」を立ち上げ、マグロなど輸出支援、観光の振興など、日本から旅行客を連れて行ったりしていました。

そして平成11年(1999年)、西新宿から新宿・四谷の学習院初等科の裏にあるビルに事務所を移転しました。周辺はとても閑静な場所で有名なフレンチレストラン「ミクニ」、迎賓館もすぐそばでした。四ツ谷駅から十数分かかったのですが、春は桜も咲き、生徒さんたちは喜んで通ってくれました。この時学校のレッスン方式は、喫茶店中心ではなく教室に通学する方式に変更しました。平成15年(2003年)5月、生徒数が増え、教室が足りなくなり、JR四ツ谷駅前のビルに移転しました。四ツ谷駅から歩いて1分、ビルの裏は「しんみち通り」という飲み屋街で大変環境が良かった(?!)です。

それから5年経ち、平成19年(2007年)に現在の御茶ノ水に移りました。

当センターは新宿・四谷に約10年、御茶ノ水に来てから12年目を迎えることになります。

小島孝之
欧米アジア語学センター学校長